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和歌山地方裁判所 昭和46年(ワ)105号 判決

原告

正司英明

右訴訟代理人

野間友一

外三名

被告

嶋良宗

被告

和歌山県

右代表者知事

仮谷志良

右被告両名訴訟代理人

鎌田政雄

主文

1  被告らは、原告に対し、各自金五五万円及び内金五〇万円に対して昭和四一年五月二一日から、内金五万円に対して本判決確定の日の翌日から各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、これを二〇分し、その一を被告らの、その余を原告の各負担とする。

4  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告に対し、金二五七〇万四一〇九円及びこれに対する昭和四一年五月二一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決及び仮執行宣言。

二、請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

第二  当事者の主張

一、請求原因

1  原告の治療経過

原告は、昭和四一年三月ころ、腰痛を覚えたので、同月二八日、和歌山県立医科大学附属病院(以下「医大病院」という。)整形外科において診察を受け、同月三一日、X線撮影の結果第二ないし第五腰椎分離症と診断され、その後、精密検査を経たところ、手術を受けるようにすすめられ、同年五月二〇日、同病院中央第二手術室において、同病院整形外科医長(右大学教授)被告嶋の執刀により、背中、腰部を切開する第二ないし第五腰椎分離症の固定手術(以下「本件固定術」という。)を受けた。ところが、原告は、右固定術部分付近にブドウ状球菌による感染症(以下「本件術後感染症」という。)をおこし、同月二六日ころから高熱が続いたため、医大病院勤務の加納政彦医師により、同月二七日、右感染症に対する排膿手術を受けた。

その後、原告は、医大病院を退院して自宅で療養を続けてきたところ、昭和四三年一月、腰部が再度腫れてきて高熱が続いたため、同病院で診察を受けた結果、本件固定術部に間近な左腰三角がブドウ状球菌により化膿し、膿瘍を形成している(以下「本件腰部膿瘍」という。)ことが判明し、入院のうえ、同年二月二三日、右加納医師により二度目の排膿手術を受けて、同年五月一四日、退院した。ところが、原告は、右と同じ箇所がまた化膿したため、同年九月、右加納医師により三度目の排膿手術を受けたが、昭和四四年三月下旬、更に腰部が腫れて高熱が続いたので、同年四月一日右病院で診察を受けたところ、右と同じ箇所が化膿していることが判明した。そこで、原告は、中之島診療所に転医し、近藤慧医師の診察を受け、ブドウ状球菌による「流注膿瘍(非結核性)」である旨診断され、同年七月二日、同医師により排膿手術を受けたが、以後数えられないくらい同様の症状がおこり、同医師により同様の手術をその都度受けた。原告の右症状は、ブドウ状球菌が骨の中に付着しているのが原因であり、右菌を体外に排出することは不可能であるので、生涯にわたり、くりかえし化膿がおこり、その都度排膿手術を受けなければならない状況である

2  本件術後感染症と本件腰部膿瘍との関係

(一) 本件術後感染症は、原告の本件固定術直後にその術部に発生したもので、次に右術部と近接する左腰三角に本件腰部膿瘍が形成され、かつ、それらの原因はいずれもブドウ状球菌である。

(二) 原告は、昭和四三年二月二三日、本件固定術部において抜釘術を受けたが、その際、右部位である移植骨周辺組織及び瘢痕組織に慢性の炎症を残していた。

(三) 原告の本件腰部膿瘍は、深層性のものであるから、表皮面の損傷部位からブドウ状球菌が侵入したものとは考えられず、よつて、深層まで切開した本件固定術の際における本件術後感染症以外にその病巣は存在しない。

(四) 本件固定術直後である昭和四一年五月に本件固定術部から検出されたブドウ状球菌は、同四三年四月に本件腰部膿瘍より検出されたブドウ状球菌と、抗生物質に対する感受性テストにおいて、同傾向の耐性検査結果を示している。

(五) 本件固定術部と本件腰部膿瘍発生箇所である左腰三角とは、傍脊柱筋の筋膜によつて結ばれており、この筋膜は、ブドウ状球菌が伝播する場合にその拡大を助ける役目を果たすものである(すなわち、ブドウ状球菌による感染症として代表的なものに「」があり、これは生体内の深部皮下筋膜の下を側方に広がり伝播する。その理由は、ブドウ状球菌が、生体内において結合組織の重要な構成分であるヒアルウロニン酸と解重合し、結合組織内における菌の伝播を助ける酵素を産出するからである。従つて、通常、ブドウ状球菌感染症の場合は、生体内の浅部において皮膚や皮下組織によつて、深部においては筋膜などを伝わつて、拡大されるものである。)。

(六) 被告嶋は、原告が昭和四三年二月二三日に受けた本件腰部膿瘍の排膿手術及び本件固定術部における抜釘術の際、本件固定術部と本件腰部膿瘍部との間の交通路の発見のためにゾンデ(消息子)というかなりの太の金属棒でさぐつたのみで、造影剤を注入してX線撮影をする等の方法により交通路の有無を確認しておらず、よつて、右のようにゾンデでさぐつたことのみをもつて右交通路の存在を否定することはできないというべきである。

(七) 被告らは、本件固定術部化膿巣から本件腰部膿瘍への感染経路として、血行性による伝播を否定し、その根拠として、昭和四一年五月に本件術後感染症を起こした本件固定術部から検出されたブドウ状球菌が、ストレプトマイシン(SM)に感受しなかつたものであるのに、同四三年二月に本件腰部膿瘍から検出された右菌は、(SM)に感受したものであることを指摘して、両菌は、同系の菌とは認めがたいとしているが、同じ本件腰部膿瘍より同年四月に検出された右菌では、(SM)に対し感受しなかつたものである。仮に、同年四月に検出された菌が、本件腰部膿瘍を切開した後に 菌が入れかわつているとすると、本件腰部膿瘍を惹き起こして同年二月に検出された菌は、同年四月には絶滅されたはずであり、その後も、以前と同じような膿瘍が、継続してみられるということは、不可解なことである。従つて、同年二月に(SM)に対して感受しない菌が検出されていないとしても、(SM)に対して感受しない菌が同年四月には検出されたことをも考え合わせると、同年二月の検査が不十分であつたため、(SM)に感受しない菌の存在を見落としたものといわざるをえない。

(八) 原告が虫垂炎を患つたのは、本件より一〇数年も以前のことであつて、それが突然昭和四三年になつて暴れ出し、本件腰部膿瘍の遠隔部の化膿巣となつたとは理解しがたいところであり、しかも、もし被告らのいうとおり血行性伝播であるならば、特に原告の左腰三角ばかりに発病する必然性はなく、また何回にもわたつて本件腰部膿瘍部より排膿手術がなされたにもかかわらず、くりかえし膿瘍が形成されたことからみて、昭和四三年二月及び四月の排膿手術後も継続的にブドウ状球菌が血管中を通つて虫垂炎の化膿巣より腰部膿瘍発生箇所に送り込まれたことになるから原告の血液(切開部から採取されたものではなく、血管中から採取された血液)中に菌の存在が証明されなければならないのに、このような検査はなされておらず、右菌の血液中における存在は証明されていないし、更にブドウ状球菌が血流に入つて転移病巣を形成することが、原告のように若くて健康な人にはまれなことであつて容易に発生するものではない。

以上を総合すると、本件腰部膿瘍は、本件術後感染症に由来するもので、その伝播経路は、右感染の際に付着したブドウ状球菌が、傍脊柱筋の筋膜を伝わつて転移したものとみるのが感染経路として、最も可能性のあるものというべきで、他に原因を求めることはできないといわなければならない。

3  被告らの責任

(一) 被告嶋の責任

医師が手術をする場合には、手術室を清潔にし、ゴミやホコリは勿論のこと化膿菌が被術者の患部に感染しないように完全に化膿菌を殺菌したうえで手術を施すか、化膿菌による感染症等の余病を併発させることのないように努めるべき注意義務があるのに、被告嶋は、医師として本件固定術をなすにあたり、右義務を怠り、右手術日ころの本件術室においては、空気中のホコリが、手術台の上で少ない時でも一CC当たり三七九個から五三九個、多い時には八五九個から一六一六個、手術室内に通ずる換気口付近では一CC当たり一〇九二個から一一九二個もあり、また、五分間に落ちる空気中の細菌が、手術室においては六、七個、消毒室では二二個を数えるというまさに工場以上のホコリと細菌のある右手術室において、漫然と本件固定術をし、十分な化膿予防処置を施さなかつた過失があり、よつて、被告嶋は、民法七〇九条により本件固定術の際の医療事故により生じた原告の損害を賠償すべき責任を負う。

(二) 被告県の責任

被告県は医大病院を経営し、その医師として被告嶋を使用しているものであるところ、本件医療事故は、被告嶋が、同病院の業務である本件固定術を執行する際に、医療上の過失を犯したことにより発生したものであるから、被告県は、民法七一五条一項により、右事故により生じた原告の損害を賠償すべき責任を負う。

4  損害〈以下、省略〉

理由

一原告の本件術後感染症、腰部膿瘍と被告嶋の医療行為との関係

原告が、昭和四一年五月二〇日、第二ないし第五腰椎分離症の治療のため、医大病院中央第二手術室において、同病院整形外科医長(和歌山県立医科大学教授)被告嶋により本件固定術を受け、その後右固定術部にブドウ状球菌による化膿巣が認められ、同病院において、排膿処置のため切開手術を受けたこと、原告は、同四三年一月、右病院において、同人の左腰三角にブドウ状球菌による本件腰部膿瘍の存在が診断され、同年二月二三日、同年九月の二回にわたり、同病院において排膿手術を受けたことはいずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実と〈証拠〉を総合すると、

1  原告は、昭和四一年三月二八日、腰痛を訴えて医大病院整形外科において診察を受け、その後諸検査の結果第二ないし第五腰椎分離症と診断され、その治療のため、同年五月六日、同病院に入院し、同月二〇日、同病院中央第二手術室において、被告嶋の執刀により本件固定術を受けた。

本件固定術は、原告の背部正中を腰椎に達するまで切開し、第三・第四腰椎の棘突起から骨の一部を採取して、第三ないし第五腰椎の分離部に移植し(自家骨移植)、移植骨が定着する間、右腰椎を固定させるため、各腰椎の間を結ぶ上下関節突起をスクリユー(釘)で止め、切開した創口に化膿防止のためホスタサイクリン、クリニツトを注入して、縫合するというもので、右手術開始時から終了時まで二時間四〇分を要した。

その後、原告の体温は、術後の吸収熱のため、いつたん、三八度台まで上がつたが、以後は順調に下がりはじめていたところ、同月二五日に至り再び三八度台に上がり翌二六日も下がらなかつたので、被告嶋は、同月二七日、原告の本件固定術部を再切開したところ、第三腰椎左筋膜縫合箇所に少量の膿点が認められ、化膿菌により感染症(本件術後感染症)をおこしていることが判明した(その後検査の結果、右箇所から採取された血液や肉芽から、化膿菌であるブドウ状球菌のうち学名スタフイロコツカス・アウレウス――以下「ブドウ状球菌」という。――が検出された。)。そこで、被告嶋は、膿をガーゼでとり去り、排膿処置のため、切開部にドレイン(管)を二本挿入し、同年六月二日から、それまで化膿防止のため使用していた抗生物質にかえて、細菌検査の結果により右菌に効能のあると認められたケフリンとカナマイシンを原告に投与したところ、本件術後感染症は快方に向かい、右ドレインからの膿等の分泌物もなくなつたので、同年七月一二日、右ドレインを抜去したが、同月二三日に本件固定術部に腫脹がみられたので、同所を切開のうえ掻爬して膿を排出し、同月二五日には手術創は閉鎖されたが、同月二七日にも小腫脹がみられ、掻爬して膿を排出し、同月二九日には、少量の膿がガーゼに付着する程度で、以後は腫脹も膿等の分泌物もみられず、本件術後感染症は終息し、同年九月一日、原告は、一年ほど後に腰椎に移植された自家骨が定着するのを待つて、腰椎に打ち込まれたスクリユー(釘)を抜く手術(抜釘術)を残して医大病院を退院した。

2  原告は、昭和四三年一月ころ、左腰部が腫れ、痛みを感ずるようになつたので、同月二二日医大病院で診察を受けたところ、原告の左腰三角に膿瘍のあること(本件腰部膿瘍)が判明し、同年二月二一日、同病院に入院し、同月二三日、被告嶋の執刀により、左腰三角を切開のうえ排膿手術を受け(その後の検査の結果、本件腰部膿瘍内容物よりブドウ状球菌が検出され、右膿瘍の原因が右菌であることが判明した。)、合わせて本件固定術に伴なう前記抜釘術を受けた。原告は、その際、左腰三角の切開部に、ドレインを挿入され、同年四月六日、ドレインを残したまま右切開創は閉鎖されたが、同月二三日、右箇所が腫脹した。そこで、同月二六日、被告嶋は、加納政彦医師の補助のもとに、原告の左腰三角を再切開のうえ膿瘍を掻爬して膿を排出し、原告は、同年五月一四日、右病院を退院した。ところが、原告は、同年九月になつて、再び左腰三角が腫れ、同箇所に痛みをおぼえたので、同年九月一〇日、右病院に入院し、同日、右箇所を切開のうえ排膿手術を受け、同年一〇月二四日、退院した。しかしながら、原告は、翌昭和四四年三月下旬にも同様の症状がおこり、右病院で診察を受けたが、同年四月四日、中之島診療所に転医し、以後同診療所の近藤医師の治療を受けるに至つた。以上の各事実が認められ、これに反する証拠はない。

そこで、原告の本件術後感染症のブドウ状球菌の感染経路について検討するに(右認定した事実によれば)右感染症の発生箇所は、本件固定術の際切開された原告の体内深層部である第三腰椎左筋膜縫合部であり、かつ、右固定術後化膿が発見されるまでの間外部とは遮断されていたもので、更に右感染による発熱と考えられる原告の体温上昇が本件固定術の五日後からみられたものであり(〈証拠〉によると、ブドウ状球菌による発熱、患部炎症等の感染症は、人体に右菌が感染して五日前後までに発症することが認められる。)、これらの事実を総合すると、原告は、本件固定術の際にブドウ状球菌に感染したものと推認される。そして、本件固定術の際における右菌の感染経路としては、①手術室内の空気中のブドウ状球菌が右化膿箇所に付着した場合、②右化膿箇所に接触した手術器具、手術者の手等の消毒が不完全のため、これらに付着していた右菌が右化膿箇所に付着した場合、③原告自身ブドウ状球菌を体内に保菌していて、血行により化膿箇所に右菌が運ばれた場合の三態様が考えられるが、右②、③については、これを認めるに足りる十分な証拠はないところ、〈証拠〉によると、和歌山県立医科大学公衆衛生学教室の白川教授が、昭和四一年六月及び一二月、同四二年五月にした環境調査の結果、原告が本件固定術を受けた医大病院中央第二手術室内に化膿菌を含む細菌の存在が測定されたこと、しかも、右第二手術室において昭和四一年五月一三日から同月二七日にかけてなされた整形外科手術一六例のうち原告を含む五例に感染例があつたこと、そのうち関節、脊椎等にまで達する切開を伴う大手術七例のうち原告を含む四例に感染例があつたことがそれぞれ認められ、右認定をくつがえすに足りる証拠はなく、これらの事実に、先に認定した本件固定術に二時間四〇分も要したことをも考え合わせれば、右感染経路としては、①すなわち右手術室内の空気中のブドウ状球菌による感染が本件の感染経路であると推認するのが相当である(なお、〈証拠〉中には、右推認と異る記載がみられるが、〈証拠〉によれば、右文書(乙第二・三号証)は、白川教授がした右環境調査の結果、医大病院において、手術室に殺菌灯を設置する等の環境改善がはかられた後、右調査結果が新聞等により公表されて、手術室の環境について外部で問題となつたので、急きよ同病院内に手術室問題検討委員会が設置され、その委員会の報告文書として作成されたことが認められ、右のような作成経過及び前掲各証拠に照らすと、右文書の記載内容を直ちには採用しえない。)。

次に、本件腰部膿瘍が本件固定術と因果関係を有するか検討する。

証人近藤慧の証言中には、医師近藤慧が、昭和四四年以後、原告の左腰部に、その都度排膿手術を施しているにもかかわらず、何回も膿瘍が形成されるのは、本件術後感染症部が再び化膿し、そこから膿が左腰部に伝播して溜まるのが原因である旨の供述があるが、一方、同証言において、近藤医師自身が本件術後感染症部まで切開したことはなく、右供述部分は推測であることも供述しており、本件腰部膿瘍と本件術後感染症が関連する旨の証人近藤慧の右供述を直ちに採用することはできない。かえつて、既に認定したように、ブドウ状球菌による感染症は、通常菌に感染後五日前後までに発病するのに、前記2で認定したように原告の本件腰部膿瘍の発病時期は昭和四三年一月ころと考えられるところ、先に認定したように原告の本件術後感染症は同四一年七月末ころには終息していたのであるから、本件術後感染症の終息時から本件腰部膿瘍の発病時まで約一年五か月の期間が存すること、しかも、その間に原告に化膿症を疑わせるような症状があつたことをうかがわせる証拠はないこと、また〈証拠〉によると、昭和四三年二月二三日になされた原告の本件腰部膿瘍の切開排膿手術及び本件固定術部の抜釘術の際、本件腰部膿瘍は、結合組織性の袋状の被膜でおおわれていたこと、本件固定術部には、本件術後感染症がすでに治癒に向う過程に発生する肉芽組織や瘢痕組織が認められたが、右箇所が化膿していることを示す特異性炎症はみられないばかりか、右箇所より採取された組織の検査結果にも菌の存在は発見されなかつたこと、また、被告嶋が右手術の際、ゾンデ(消息子)で本件腰部膿瘍部と本件固定術部との間の交通路を探つた(この点は、当事者間に争いがない。)が、これを発見するに至らなかつたこと、本件の場合に造影剤を入れて右交通路を探ると、炎症部位に圧をかけることになり、炎症を他に波及させるので妥当でないこと、以上の各事実が認められ、これに反する証拠はなく、更に、〈証拠〉によると、ブドウ状球菌等の化膿菌には、その菌に感受して菌の発育を抑制する特定の抗生物質が継続的に投与されることにより、その菌が耐性を得て、その抗生物質に感受しなくなり、以後耐性を獲得した菌は、その耐性が遺伝的に伝達され、その菌の直系にあたる菌に対してはその抗生物質は効かなくなるという性質があるが、その逆、すなわちそれまで特定の抗生物質に感受しなかつた菌及びその直系の菌が、突然その抗生物質に感受するようなことはありえないものであるところ、原告の本件術後感染症部から昭和四一年五月二七日及び同年七月一三日に採取された前者においては肉芽、後者においては膿汁から検出された各ブドウ状球菌は、感受性テストによると、ストレプトマイシン(SM)に感受しないものであつたのに、本件腰部膿瘍発病後初めて切開された同四三年二月二三日に採取された右膿瘍内容物から検出されたブドウ状球菌は、感受性テストによると、ストレプトマイシン(SM)に極めて感受するものであつて、本件術後感染症を惹起したブドウ状球菌と本件腰部膿痕を惹起した同菌との間に直系の関係がないことが認められること、以上の諸点を総合して考えると、結局、本件腰部膿瘍と本件術後感染症との間に、関連があるとは認め難く、従つて、本件腰部膿瘍と被告嶋の本件固定術との間には、因果関係があるとはいえない。

二責任原因

そこで、原告が本件術後感染症に罹患したことに対する被告らの責任の有無を検討する。

1  被告嶋

原告は、まず、外科手術を施す医師としては、手術室を殺菌して無菌状態にして手術部の化膿を防止しなければならない医療上の注意義務がある旨主張するが、〈証拠〉によると、手術室を完全に無菌状態にすることは、科学技術上困難であり、近年アメリカ合衆国宇宙開発局においてバイオクリーンを用い0.5ミクロン以上のものを濾過しうる能力をもつた無塵装置を開発し、最近ではこれを手術室に応用しているものもあるが、その設備のために莫大な費用を要するばかりか、右装置においてもなお完全に無菌といえないことが認められ、右事実よりすれば、手術を施す医師が、原告の主張するような注意義務を履行することは社会的に不可能であるというべく、原告の右のような注意義務を前提とする主張は失当である。

次に原告の主張する十分な化膿予防処置をなすべき注意義務について検討するに、医師が外科手術を施行する場合、空気中にブドウ状球菌をはじめ化膿菌が浮遊していることは医学上の常識というべきであるから、患者の身体を切開して手術をする際には、常に空気中の化膿菌が切開した手術部に付着して感染症をひきおこす危険性のあることは、医師として当然予想していなければならないことであり、従つて、手術をする医師は、空気中の化膿菌が右手術部に付着しても患者に感染症をおこさないように十分な化膿予防処置をなすべき注意義務があるというべきであり、ことに、証人近藤慧、同加納政彦の証言によれば、関節や骨まで達する切開を伴うような大手術の場合には、そのために患者の体力が消耗し、化膿菌に対する抵抗力が弱まるため、感染症に罹患しやすくなることが認められ、そうだとすると、右のような患者が感染症に罹患すれば、生命身体に大な結果をきたすおそれが十分に予想されることはみやすいところであるから、右のような大手術をなす手術者としては、該手術部の化膿を予防するため、それ相当のより一層十分な予防処置をなすべき注意義務があるものと解すべきである。更に、右のような注意義務に違反したことを理由に損害の賠償を請求する被害者の大多数の者が医学的知識については乏しく、賠償を請求される加害者が医学上の知識を専有していることをも考え合わせると、右のような注意義務を手術者に負わせることは、公平の見地から考えても相当なものである。

ところで、すでに認定した事実によると、本件固定術は、腰椎にまで達する切開を伴う大手術であり、その手術の際にブドウ状球菌が手術部に付着感染して原告が本件術後染症に罹患したものであるところ、原告の本件術後感染症は、化膿予防のため使用さた抗生物質を変更したことにより終息するに至つたことが認められるので、当初より被告嶋において右変更後の抗生物質を原告に投与しておくか、又はこれに相当する抗生物質の投与などの処置をしておれば、本件術後感染症は防止し得たものであることが明らかである。よつて、被告嶋は、本件固定術の際、化膿予防処置を十分に尽くさない過失があつたというべきである。

2  被告県

被告県が、医大病院を経営し、その医師として、被告嶋を当時使用していたことは、当事者間に争いがなく、前項1で認定した事実によれば、被告嶋は、右病院の業務の執行として原告に対し本件固定術をしたことが認められる。そうだとすると、被告らは、本件術後感染症に罹患したことにより原告が被つた損害を、連帯して賠償すべき責任を負うといわなければならない(なお、原告の本件腰部膿瘍が、本件固定術と因果関係を有するとは認め難いことは前述したとおりであるから、本件腰部膿瘍による原告の被つた損害については、被告らが賠償すべき義務がないことは明らかである。)。

三損害

1  逸失利益

原告が本件術後感染症に罹患したことにより被つた逸失利益としての損害は、前記第一項1で認定した事実からすると、もし右感染症に原告が罹患しなければ、より早く退院し、稼働して収入を得られたのに、右感染症に罹患し、その治療のため退院が遅れ、その遅れた期間だけ稼働しえないため得られるはずの収入を逸失した損害が考えられるところ、本件全証拠によるも、右感染症の治療のため退院が遅れた期間を認めるに足りる十分な証拠はないので、原告の被つた右損害額を確定することはできない。

2  慰藉料

前記第一項1で認定した事実によると、原告が本件感染症に罹患したため、その治療に際し、本件固定術部が再び切開され、右切開部にドレインを挿入される等の処置を受けたことが明らかであり、また、右治療のため原告の退院が、その期間は確定できないにしても、右感染症に罹患していなかつた場合に比べて遅れたことは十分に推認される。右事実によると、原告が、本件術後感染症の症状及びその治療のための諸処置により被つた痛みや不快感並びに退院の遅れにより、精神的損害を被つたことは想像するに難しくはなく、その他本件記録上にあらわれた全事情(ことに逸失利益額が証拠上確定しえないという前記事情をも含む。)を考慮して、右損害を慰藉するには金五〇万円をもつて相当とする。

3  弁護士費用

原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、原告は、本件につき、弁護士である原告代理人らに訴訟の追行を依頼し、右訴訟委任に際し、着手金一〇万円、本訴に勝訴した場合報酬金一〇〇万円を各支払うことを約束したことが認められ、これに反する証拠はない。ところで、本件のごとき、医療過誤を理由に損害賠償請求を提起するに伴つて支出される弁護士費用については、その性質上これもまた、医療過誤により生じた損害とみられるが、本件事案の内容、請求額、認容額を考慮すると、本件医療過誤と相当因果関係に立つ損害としては、金五万円をもつて相当とするというべきである。

四結論

以上の次第で、原告の本訴請求のうち、被告らに対し、各自金五五万円及び内金五〇万円に対する本件不法行為のあつた日の翌日である昭和四一年五月二一日から、内金五万円(弁護士費用相当分)については、その弁済期は本判決確定の日と解するのが相当であるので、これに対する本判決確定の日の翌日から各支払いずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の部分は失当なので棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項を、仮執行宣言につき、同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(新月寛 川波利明 礒尾正)

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